本文は保存記事をもとに掲載しています。「現在」などの表現は元記事の記載時点を指します。証言・調査上の推定は原文の表現を残しています。

模擬原爆パンプキンは、大きさ3メートル、重さは5トン近くもあり、第二次世界大戦で使われた兵器としては、原爆以外で最も大きな爆弾兵器であり、この投下は明確な「爆弾攻撃」です。単なる「模擬」原爆ではなく、「特別に巨大な爆弾兵器」でした。その投下は「原爆投下の予行練習」にとどまらず、「事前に調べ上げた目標に対する爆弾攻撃」でした。

そして、北茨城への模擬原爆投下は、模擬原爆と原爆を合わせて52発の原爆投下の特殊作戦において一番初めの記号が割り当てられ、時間的にも富山の2発と並んで「最初の模擬原爆投下」です。「人類唯一の核兵器攻撃作戦の皮切りが北茨城への模擬原爆投下だった」ということです。この歴史的事実をできるだけ正確、客観的に記録しておくことはそれ自体、意味があります。

ただ、「正確に歴史的事実を記録するだけ」に終わっては「先」につながらないとも思います。

広島、長崎への原爆投下のような悲劇を繰り返さないことが大切です。正直なところ、広島、長崎から茨城県は遠く、原爆投下は「どこか遠い場所での出来事」という印象を私は持っていました。しかし、広島、長崎への原爆投下につながる最初の爆撃が北茨城市で起きていました。身近なところに、ヒロシマ、ナガサキはあったのです。

広島、長崎で原爆の被害にあわれた方々は、原爆が落とされる直前まで、空襲もほとんどなかったので、他の空襲被害を受けた地域の方々と比べ、平和な日常を送っておられたものと想像します。その平和な生活が原爆投下で突然、壊れました。平穏だった広島、長崎はある日突然、「被爆地」となったのです。

誰が悪い、何が悪いと、悪者探しは難しい問題です。アメリカの側も「戦争を早く終わらせる」など簡単には否定できない理由で原爆を使ったようです。投下した人たちも「上の命令に従って自分の仕事をしただけ」などと言います。正直な気持ちでしょう。それぞれが、それぞれの「やむにやまれぬ」事情に従って行動した結果、「原爆投下」という最悪の結果が起きてしまいました。

「誰もが自分が正しいと思うこと、しょうがないと思うことをしただけなのに、何十万人もの人が亡くなった」

どうしたらこうした「最悪の結果」を避けられるでしょう?

簡単には答えの出ない問題です。そして、原爆投下のような「最悪の結果」は滅多なことでは起こらないし、起こるとしても個人の力ではどうにもならない、とあきらめ、「考えない」のもありかもしれません。

ただ、「最悪の結果を避ける方法」として一つ考えられることがあります。「起きうる被害を、できるだけ詳しく、できるだけ具体的に想像する」ことです。広島、長崎のあまりにむごい原爆被害を誰もが前もって想像できていたなら、誰かがどこかでブレーキをかけていた可能性はあるかもしれません。

「相手側の立場になって、相手側に起きる結果を想像すること」。ただ、何も「きっかけ」がないまま、原爆のことを知ろうとしても、どこか「他人ごと」「お勉強」になってしまいがちです。

原爆投下作戦の始まりの一つが北茨城市にあった。

このことが「原爆(核兵器)」について「自分ごと」として知ることのきっかけとなるかもしれない。この辺に模擬原爆の北茨城着弾地の記録を残す意味があるように思います。

出典:Facebook「模擬原爆北茨城着弾地調査」

元の記事を開く ↗