本文は保存記事をもとに掲載しています。「現在」などの表現は元記事の記載時点を指します。証言・調査上の推定は原文の表現を残しています。

・着弾当時、当時2歳の妹(故・小磯チイさん)をおぶって、田んぼの一番北はずれの藁葺の休憩所にいた。(赤津さんは当時7歳) 飛行機が来たのは音でわかったが、飛行機は見えなかった。爆弾の爆発はとにかく物凄い音だった。普通の音ではなかった。鼓膜が破れるほどの音だった。破片などは自分がいた場所までは飛んでこなかった。
(※赤津さんと小磯さんが着弾当時おられた場所は、着弾点からの直線距離で400m強、着弾点より高い場所だったものと推測されます。間に森を挟みます)

・爆弾が落ちた場所は水がたまり、湖のようだった。水の色は真っ青で、深かった。落ちた場所は上圷さんの田んぼの方が近かったと思う。釣りに来ていた人がいたかどうかはわからない。

・爆弾の話は関南小学校の友達などによくした。今でも周囲の人に話すことがある。1トン爆弾だと思っていた。

出典:Facebook「模擬原爆北茨城着弾地調査」

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