模擬原爆は「1万ポンド軽筒爆弾」(10,000-pound L.C.(Light Case) bomb)が正式名称で、米軍通称は「パンプキン(爆弾)」です。その丸い形がかぼちゃに似ており、塗装が黄色だったためです。丸い形には理由があり、長崎型原爆の仕組み(爆縮レンズ)と関係しています。その形から長崎型原爆の仕組みが簡単に推測できてしまうため、模擬原爆も確実に爆発させて証拠を残さないことが必要でした。
模擬原爆の目的は次のようなものがあったとされます。
(1) 投下訓練(約9000メートルの高さから目標を狙って落とし、爆風から逃れるため、急旋回して遠くへ離れる)
(2) 実際に日本本土の目標を爆撃することで隊員の士気を高める
(3) 原爆の投下目標付近の地理を隊員に覚えさせる
(4) 一機のB-29が飛来して爆弾を落とす攻撃に日本側の住民を慣れさせる
(5) 模擬原爆自体の兵器としての有効性を確かめる
模擬原爆投下は単なる原爆投下訓練とは異なります。投下訓練自体は、アメリカ本土や、基地があったテニアン島付近でも行われていました。模擬原爆は、アメリカ軍が偵察の末、調べ上げた日本の本土にある軍事目標の破壊を目的とした「爆弾攻撃」です。そして、その軍事目標は、原爆投下の目標候補とされた新潟、京都、広島、小倉、長崎の周辺都市に設定されていました。
模擬原爆が重要なのは、原爆投下と模擬原爆投下は「一つの特殊爆撃任務(SBM)」として扱われていたからです。原爆投下報告書や出撃命令書には原爆投下自体、「特殊爆撃任務」の中の一つの作戦として書かれています。原爆投下部隊(第509混成軍団)のほとんどの隊員は自分たちが原爆投下を目的とした部隊であることを広島への原爆投下直前まで知りませんでしたし、原爆開発についても知りませんでした。原爆を投下する側からしてみれば、原爆投下も模擬原爆投下も同じ攻撃だったのです。それは「テニアン島から何千キロも飛行してきて、一つの大きな爆弾を約9千メートル上空から日本本土の目標めがけて落とし、急旋回して逃れ、また、何千キロも飛行してテニアン島まで帰ってくる」というものです。
模擬原爆の大きさは「長さ約3.3メートル、直径約1.5メートル、重さ約4.8トン」です。原爆と同じく、特別に改造した巨大なB-29に1つしか載せられませんでした。さらに、火薬の量は2.9トン近くになります。(※重さと火薬量はR.Cambell氏の著作「The Silverplate Bombrers」が情報源で、同書では総重量10,525ポンド、火薬重量6,300ポンドとしています) 太平洋戦争中、大きな威力を持った1トン爆弾の火薬量は429キログラムです。単純に火薬の量だけで考えると、1トン爆弾の7倍近くもの破壊力が模擬原爆にはあったのです。「原爆と地中貫通爆弾以外で、第二次世界大戦で使われた最も大きな大量破壊兵器が模擬原爆」と言えるでしょう。模擬原爆は兵器としても特別な存在だったのです。
模擬原爆を通常の兵器として使うことも検討されていました。8月14日の愛知県への爆撃はこのテストを兼ねたとも言われますが、結局、製造コストにその効果が見合わないと判断されたようで、使われなかった模擬原爆は海に捨てられました。
緯度と経度が判明している模擬原爆着弾地についてGoogleマップ上に印を付けたもの(マイマップ)
www.google.com — 参照資料を開く
「パンプキン爆弾」(模擬原爆)のウィキペディア
ja.wikipedia.org — 参照資料を開く
※パンプキン爆弾のウィキペディアの画像にスマホアプリColorizeで自動色付けしたもの。爆弾本体の実際の色は黄色。

画像を選ぶと別画面で拡大できます。
出典:Facebook「模擬原爆北茨城着弾地調査」
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