本文は保存記事をもとに掲載しています。「現在」などの表現は元記事の記載時点を指します。証言・調査上の推定は原文の表現を残しています。
1945年7月20日当時、篠原昭次さんは小学校6年生。東京に住んでおられた篠原さん一家は空襲の激化を受け、北茨城市磯原町の父親の実家に帰ってきていました。着弾地から1.3kmほどです。以下、篠原さんの証言をまとめたものです。
・朝方、一機のB-29が飛んできたのがわかった。曇っていて機体は見えなかったが、音でわかった。
・近くに田んぼを持っていた村田さん(故人)がちょうど家の前を通りかかった。B-29が来たので、村田さんが「ちょっと入らせて」と軒下に避難した途端、物凄い爆発音と振動がした。
・戦後、着弾地の爆弾山付近には木を切りに行っていた。木を切っていると、爆弾の破片と見られる金属片に斧がぶつかることがあった。
・爆弾が落ちた日、精華小学校に向かうが、周りは空襲で焼けており、授業はやらないだろうと思い、すぐ家に帰ってきた(※これは、7月19日深夜の磯原空襲の翌朝、という証拠と言えます)
・爆弾は1トン爆弾だと思っていた。
出典:Facebook「模擬原爆北茨城着弾地調査」
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