・1945年7月20日当時、5歳。当時は華川町車地区に家があったが、爆弾が落ちた時の衝撃で雨戸が吹っ飛んだ。(※車地区まで着弾地から西へ1.4km程度です)
・着弾地の北西に上圷家の田んぼがあったので、車地区から駒木地区を経由して通っていた。田んぼを耕作しなくなった後も2018年、太陽光発電所の工事が始まる直前まで、土地勘のある場所だったこともあり、1年に1回は山菜取りに訪れており、爆弾が落ちた場所を気に留めていた。
・爆弾が落ちてから2、3日後、上圷家の田んぼに田の草取りで行った際、隣の金澤家の田んぼに爆弾が落ちた穴があったのを見つけた。
・爆弾が落ちた地点から50メートルから100メートルくらいまでの範囲で木に爆弾の破片が刺さっていた。
・爆弾が落ちた穴は、3メートルから5メートルの深さがあった。西の上圷さんの水田の堀から水が流れ込んでいたため、水がたまっていた。昔はうなぎが潜んでいそうだったので、穴から水を抜き、うなぎ採りをしようかと思ったこともあった。(実行はしなかった) 年が経るにつれ、穴には土がたまっていき、塞がっていった。最近では草で覆われ、自分のように場所を知っている人でないと、見ただけではわからない状態だった。
・沢沿いの田は深いぬかり田だったが、穫れる米は美味しかった。
・北側に湯ノ網地区の須田さんが作っていた田んぼがあり、当時、田の草取りをしていたことを後に聞いた。
※北茨城への模擬原爆投下では、着弾当時、周囲に人はいなかったのではないかと思われていましたが、上圷さんの証言により、すぐ近くの水田に農作業をされていた須田さん(故人)がいた事実が明らかとなりました。また、上圷さんは太陽光発電所の工事が始まる直前まで着弾地を認識していたとのことで、もっと早く上圷さんに模擬原爆の話が伝わっていれば、着弾地は保全された可能性が高く、悔やまれます。着弾地付近は、太陽光発電所の工事が進むまでは、元水田の湿地帯が多く、一般の人が近づける状態ではありませんでしたが、土地勘のあった上圷さんは山菜採りに毎年行かれていた、ということで、上圷さんは数少ない「最近の着弾地を知る方」でした。聞き取りに当たり、上圷さんを紹介していただいたのは野口守さんです。
出典:Facebook「模擬原爆北茨城着弾地調査」
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