模擬原爆北茨城着弾地之碑 / 右側の高い木の方角に1.2km先が着弾地記念碑を訪ねる ↗
KITAIBARAKI PEACE ARCHIVE
広島・長崎の原爆投下へつながる、はじまりの出来事。
いつもの風景の向こうに、
忘れてはならない記憶があります。
北茨城に落とされた模擬原爆。その記録を、未来へ。
01 / INTRODUCTION
遠い場所の出来事では
ありませんでした。
1945年7月20日、午前7時55分。大津町を目標として、一発の「模擬原爆」が投下されました。長崎型原爆とほぼ同じ形・大きさ・重さを持つ、巨大な火薬爆弾です。
長く不明だった着弾地。地域に残る「爆弾山」の記憶と人々の証言、米軍の航空写真が、その場所を少しずつ明らかにしてきました。
この調査について読む ↗02 / THE MONUMENT
石に刻み、
未来へ手渡す。
模擬原爆北茨城着弾地之碑
2024年7月20日、北茨城市磯原町に建立された、模擬原爆の形をした記念碑。石工の神永峰敬さんが、地域に残る戦争の記憶を次の世代へ伝えるために建てました。
碑には「民 忘るべからず」の言葉が刻まれ、裏面の地図には広島・長崎と模擬原爆の投下地が示されています。着弾地と推定される場所を望む、少し離れた高台に立っています。

VISIT / 記念碑を訪ねる
現地で、碑文を読む。
石に刻まれた言葉を読み、右側の高い木の方角、1.2km先の着弾地に思いを向ける。ぜひ現地で、この場所に残る記憶にふれてください。
- 所在地
- 茨城県北茨城市磯原町磯原1954-4付近
- 建立
- 2024年7月20日
地図は記念碑の所在地を示します。実際の着弾地とは異なります。
03 / THE ARCHIVE
記録をたどる。
保存された目次に沿って、
歴史、調査、そして一人ひとりの証言へ。
HISTORY & RESEARCH歴史と着弾地の調査
01はじめに ~終戦間際、北茨城に落とされていた模擬原爆02模擬原爆の重要性について03北茨城に投下された模擬原爆04模擬原爆北茨城着弾地が判明に至る経緯05米軍撮影の航空写真に映った着弾クレーターらしき跡06着弾地(爆弾山)の現在の状況VOICES & MEMORIES人々の証言・覚え書き
07故・野口友朗の証言「投下の瞬間を目撃」08青山綾子さん(旧姓・須田)の証言「着弾当時、須田利蔵さん一家6人が北に数百mの水田にいたが、父の機転で奇跡的に全員、怪我もなく助かった」09赤津光江さん(旧姓・須田)の証言「とにかく物凄い音だった」10鈴木和雄さんの証言「7月20日8時頃、北西からのB-29飛来と爆弾投下を体験」11鈴木和雄さん著「空襲と弟の誕生」12金澤正造さんの証言「着弾地の水田を所有していた金澤家」13上圷日支さんの証言「最近まで着弾地を認識」14篠原昭次さんの証言「機体は見えなかったが一機のB-29による爆弾投下をはっきりと体験」15吉田安守さんの証言「物凄い爆発音と振動を感じた」FOR THE FUTURE未来へつなぐ記録
16模擬原爆北茨城着弾地を調べ、その記憶を残す意味について17参考資料04 / DOCUMENTARY
映像で知る、あの日。
北茨城に落ちた模擬原爆を、
ひとつの映像からたどります。
北茨城市に落ちた模擬原爆
解説映像(再現イメージを含む) / 6分34秒動画を読み込めませんでした。上のリンクから動画を直接開くか、時間をおいてお試しください。
1946.06.08 / 米軍撮影の航空写真を用いた調査資料TRACING THE EVIDENCE
写真に残る痕跡。
証言が結ぶ場所。
着弾地の地番、沢のかたち、地域に残る記憶。いくつもの手がかりを重ね、1946年の航空写真にクレーターらしき跡が見いだされました。
確かめられたことと推測を区別しながら、調査の道のりを残しています。
航空写真と調査を読む ↗- 2018
「爆弾山」と模擬原爆が結びつく
- 2020
航空写真にクレーターらしき跡を確認
- 2021
証言を集めるための調査ページを開設
05 / VOICES & MEMORIES
あの朝を、生きた人の声。
FOR A PEACEFUL FUTURE
記憶を残す。
想像する。
平和につなぐ。
身近な場所で起きたことを知る。
その場所にいた人の声に耳を傾ける。
それは、戦争を「自分ごと」として考える、
小さくても大切な一歩です。